足跡(2007年度卒業生)
1、四年間を振り返って私にとってワンゲルとは。
2、一番の思い出(楽しかったこと・嬉しかったこと編)
3、一番の思い出(苦しかったこと・辛かったこと編)
4、後輩達へのメッセージ |
杉浦知樹(前主将)
1 |
「出会いと発見」のある「もう1つの学校」だった。4年間部活をしに学校へ行っていたようなものなので、僕にとっては関西学院大学とは別の「もう1つの学校」。
部活動はそれこそ「出会いと発見」の日々だった。山へ行けば様々な景色と出会い魅了され、下界では部員たちの意外な一面を発見して爆笑したり、常に自分にとって刺激ある毎日が送れる場所。色んな事を知り経験出来る場所。ビバークなんて、大学のどの授業でも習わなかった。スプーンをマシーンと呼ぶなんて、どの先生も教えてくれなかった。もう初めてで驚くことばかりだったので、それが楽しみでついつい足を運んでしまう。そういう場所。
最後に関係ないかもしれないが、部活動が大自然に接しているからか「自分に素直になれる」場所でもあった。 |
2 |
去年の春合宿「全行程全装備による岩手山踏破」!1年間この目標目指して活動を続け、それを初志貫徹・達成した時は走馬灯のように今までの活動が思い起こされて、とても感慨深かった。
でも1番嬉しかったのは、その春合宿を終えて(1年間を終えて)逞しく成長した後輩たちの姿が見られたこと。これで終わりじゃない、来年は俺たちの番だと意欲に燃えている姿が羨ましくもあり、嬉しくもあった。
|
3 |
1年生のスキー合宿ACT2飯縄ツアー、休憩中に斜面にバケツを掘らずにザックを置いたら、見事に谷底に向かってザックが転がり落ちていったこと。
でも1番怖かったのは、ザックが中々止まらなかったことでも、ザックの買い替えには金がかかることでもなく、転がり落ちている間中ずっと、当時PLであった宮田さんが目をつぶりながら組んでいた腕が小刻みに震えていたこと。
本当に怖かった。
思えば、宮田さんにはよく本気で怒られた。怒られた僕も今では4年生、あの時怒った甲斐があったと宮田さんが思ってくれるような上級生に自分は少しでもなれたのだろうか。宮田さん、たくさん迷惑をかけてしまって申し訳ありませんでした。そして、本気で叱ってくれてありがとうございました。 |
4 |
部員の数だけ可能性はある。だからこそ、その可能性の分だけ、それ以上でもいい、山に行ってほしい。1年生の時の活動自粛期間、4年生の夏季休暇中の骨折、1年生の時はそれが普通だと思い込んでいたけれど、4年生で骨折した時にハッと気付いた。「ヒマ」だっていうことに気付いた。何も出来ず何もせずグータラしていること、皆と山に登っていないこと、自分が山に登っていないこと、そんな日常がヒマでヒマでしょうがないことに気付いた。
1年生はしんどいことだらけで山が中々好きにはなれないかもしれない。ひょっとしたら2年生でも、3年生でも、4年生でも、それはわからない。けれで、ふとしたことで山が好きになる瞬間が必ずやってくると思う。自分にとってのそれは2年生の時の「夏合宿」だった。理由はわからない、なかったかもしれない。でも、その夏合宿で無性に山が好きになった。そこから山があって当然の学生生活は続いていき、それがなくなった時のちょっとした空しさも知った。
それだけに、自由に活動できる時間を持つ後輩たちには思う存分山に行ってもらいたい。我々の部は活動をしていない(山に行っていない)日の方が多い。その限られた時間の中で、折角山に行くことの出来る部に入ったのに行かないのはあまりにもったいない。行かないなら、その時間を今からでも僕に分けて欲しい!と思ったりもする。
人生22年、登山4年の自分が言えることではないけれど、たくさん山に行ってほしい、山の良いところも悪いところも全部見てほしい、そしていつか僕がそうであったように、自分にとって「最高の瞬間」に出会ってほしい、そんな活動を続けていってくれたらと思っています。頑張れ!! |
|
宇都本功夫(前主務)
1 |
この4年間を振り返ると、私にとって大学生活=ワンゲルだった。つらいことも、楽しいことも、振り返れば皆ワンゲルとともにあったように思う。このクラブでの様々な経験が良くも悪くも自分を大きく成長させてくれた。活動を続けるうちに山が、自然が大好きになり、皆で喜びを分かち合う素晴らしさを学び、そして何より他では得がたい仲間を得ることが出来た。卒業が近づく今になって、ワンゲルとの出会い、そしてこのクラブに関わる多くの方々に対して本当に感謝の想いでいっぱいである。 |
2 |
楽しかったこと、嬉しかったことはあり過ぎて語れない。ここでは、その全ての思い出の始まりである私とワンゲルとの出会いを語らせてもらいたい。
入学当時、何気に「山登りしてみたいな」と思っていた私は新学生会館でワンゲルのポスターを見つけた。やや緊張しながらもポスターの番号に電話をかけると
「生協前で待っといてくれる?すぐ迎えにいくから!」
と女の先輩が対応してくれた。ドキドキしながら待っていると、遠くから綺麗な女性が歩いて来た。
「まさか、あの人やないよな。あんなキレイな人が山なんか登るわけないもんな。」
そんなことを考えている私に
「電話くれた子かな?」
とその女性。私はあまりにびっくりして返事が遅れてしまった。
「はい…?あ、そうです…!」
そう、そのときの先輩こそ未だに私の中でのミス・ワンゲルであるO村先輩だった。
あの瞬間から私の大学生活は輝き始めたのである…。 |
3 |
後輩や同期は「またか」と思うだろう。しかし、私にとって一番苦しかった経験は1年生の秋季補充合宿、鈴鹿山脈は竜ヶ岳の登り以外に考えられない。4年間の中であれほど辛い登り、感動したピークは他になかった。
ただ、今になって思うことがある。あれだけ体力の限界まで頑張れたのは、何をおいても頼れる先輩がいたからである。「待って下さい!」と必死で呼び止めても、おかまいなしに進んで行くトップの林さん。自分も肉離れ寸前だったろうに常に激励の言葉をかけてくれた阪本さん。そして活動を通して一度も弱さを見たことのなかった偉大なリーダー宮田さん。
いざとなったら俺達が何とかする。そんな先輩方の背中を追い、助けられていたから頑張ることが出来たのだと今になって思う。
|
4 |
後輩達へ。
君達に言いたいのは
ありがとう
この一言に尽きます。
正直なところ、私は頼りない先輩だったと思います。
それでもなんとか頑張ってこられたのは君達がいたからです。
こんな先輩についてきてくれて本当にありがとう。
私達はもう卒業ですが
君達にはまだ「春合宿」があります。
この一大目標達成のためには辛いこと、苦しいことがたくさんあるでしょう。
でも、部活を離れた今になって、しんどい時ほど楽しかったと思います。
これだけ濃い活動をこれだけ濃いメンバーで出来るのは今しかありません。
私達のいいところは取り入れて
私達のダメなところは反面教師に
皆で協力して自分達らしく走り抜けてほしい。
話したいことはワンゲルだけに山程ありますが
紙面では語り尽くせないと思いますので、ここらで筆を止めます。
今日はじっくり語りましょう |
|
藤田由紀(前女子リーダー)
1 |
4年間、辛いとき、悩んだとき、悔しいと思ったとき、どうしようもなくて前に進むことができないとき、『あたしは一人で戦っている。』なんて思ったことありませんでした。
いつもとなりには同期がいてくれました。
何もいわなくても、私の考えを察してくれる佐川。
同じリーダーとして励ましあった杉浦。
私の問題を自分のことのように真剣に考えてくれた宇都本。
何回4人でご飯を食べに行ったかわからない。
そして、部を辞めても定期的に会い部員に言えない悩みを聞いてくれた元同期達。
一生モノの大事なつながりをこの部で作ることができました。
こんな素敵な仲間に引き合わせてくれた先輩方には本当に感謝しています。 |
2 |
後輩がたくさんできたこと。
『藤田さん、最近太りましたね。ご飯おごってください。』(M田Y治、私はあんたと出会ってどんだけ太ったんだ。)『ふじさん!ふじさん!』(A立、私は3776mの山じゃない。)と減らず口の多い子、抱きついてくる子(Eちゃん、私は女よ。)、今年の夏合宿でお札をびしょびしょにした子(Mーちゃん財布もパッキングしてくれ。)、一昨年の夏合宿で晩御飯の差し入れを『肉祭り』と喜んだA班の子達(A班のN子、Cいち、とB班とのテンションの差が…。)大力食堂で2,5合カツ丼を食べた女の子達(次は肉丼?)…後輩一人ひとりとたくさん思い出がありますが、長くなりそうなのでここらへんで。
山に行くと、日に日にたくましく頼もしくなっていく後輩の姿を見るのが嬉しくて、登山の面白さと楽しみがひとつ増えました。
ありがとう。 |
3 |
三年生の一年間。
パーティをまとめること、リーダーという責任ある立場だということ、でも具体的に形のない『責任』が何なのかを考え、山が好きなんてとても言えたもんじゃない自分の経験のなさに焦り、毎日追われる計画書、合宿の企画作り、今日のミーティングの段取りを考えてない…いつも目の前の何かに追われ、たくさんの人に迷惑をかけ、遣っ付け仕事の毎日。
ミーティングのあとは、佐川と駅まで帰り終電に乗る、そしてパソコンに向かい、風呂は翌朝に持ち越し、授業には出なくなり、洗濯物はたまるし、ご飯も作らなくなる。でも、バイトには行かないといけない。生活も肌も荒れる日々。
もっと、要領がよければいいのになぁ。と思いながら、春合宿の日を迎え、3泊4日が終わった。
春合宿まで荒れて荒れてどうしょうもなかったのに、春合宿を終えてこの生活がなくなるのかと思うと寂しくて、なにか次の目標を探さないと。と帰りの電車で考えたけどなかなか見つかりませんでした。
ひとつのおっきい目標めざして突き進んだ一年間はうまくいかない失敗ばかりで、へこんで、つらいと思っていたけれど、とっても充実していました。つらいこと以上に毎日が楽しかったです。 |
4 |
山なんて嫌いだと思ってる子がもしもいたら。
山はなにも悪いことしてません。嫌いにならないでください。
登る人間が悪いのです。実力もないのに、自分たちの都合のいい日に山に入り、しんどい思いをして、天気を読み違え、自然に合わせないから痛い目に遭って『山なんて嫌い』って思うのです。
真摯な態度で山に接すれば、きっときれいな景色や、山のすばらしさや楽しさを感じ取ることができると思います。
4年生になって、私はもっと山のこと知りたいと思うようになりました。
合宿という枠組みから外れて、自由になってこそ本当の登山の始まりなのかもしれないと思います。
里山でもいいし、山スキーでも、岩にかじりついても、水に飛び込んでもいい、自分らしい登り方を探してみてください。きっとあるはずです。合宿の登り方しか知らないで『山なんて嫌い』というのは、すごく寂しいことだと思います。
…こんな変態な私ですが…これからもよろしくお願いします。
|
|
佐川瑠衣(前女子サブリーダー)
1 |
4年間を振り返って 私にとってワンゲルとは
1年…部の雰囲気に惹かれて入部。必死に係りの仕事を覚え、何度も練習を繰り返し、先輩の背中に無我夢中についていく日々だった。学祭時期の比良山での合宿では、抱負文に書いていた係りの完成が達成できずに、閉会式の時、ゴールした神社で入部して初めて悔し涙を流したことを今でも鮮明に覚えている。冬活動では小屋前にテントを張り、当時の1年生女子4人で協力して水作りをしたことが思い出深い。毎日が失敗と反省の繰り返しだったが、先輩にほめられたり、成長を実感できたことが何より嬉しかった。
2年…後輩ができ、指導することの難しさを実感した。新人合宿ACT2ではサブリの経験をし、山で判断を下すことの責任の重さを痛感。9月には自分で初めて立てた御来光目的の白馬PWを行ったが、ピークは大荒れ。視界最悪の白馬岳ピークでいつかリベンジを果たすことを誓った。10月には同回の女子の退部が決まったことや、先輩に対する不満(当時は自分に多々至らぬ点があったにも関らず、全て先輩や周りの環境のせいにしていました)から、退部を決意したこともあった。春合宿を達成できたことはとても嬉しかったけど、それ以上に春合宿までの一つ一つの合宿の積み重ねでパーティの実力がついていったことが嬉しかった。最後まで面倒を見てくださった当時4年生の女子の先輩方にはどれだけ感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
3年…最上級生としてパーティをまとめる立場に。しかし、後輩に理不尽な思いをさせ、部を辞めさせてしまった。一つ一つ判断の重みを熟考せず、パーティ間での意思統一も不足しており、後輩達に辛い思いをさせてしまったことが大きな反省点。まだまだ未熟であることを痛感した。2月、ルーファイ力強化のために行った御岳でのリーダー研修合宿では、かつて経験したことのないほどの強風に見舞われる。ルーファイ力の強化には繋がった合宿であったが、判断のタイミングで反省が残った。春合宿では、最終日を除き、天候はほぼ常に荒れていた。今まで経験したことのなかった沈をここで初めて経験する。最終日は核心である大沢下りの大滑降を無事踏破することができ、ゴールしたときには大きな達成感を得た。
4年…女子ACT2での落雷事故の報告を受けたときには、気が気ではなかった。自然の驚異を感じたと同時に、監督・コーチ陣、部長、副部長はじめ、本当に多くの方々の理解と協力の中で活動ができていることを改めて実感した機会でもあった。
今思い返してみても、ワンゲルでの4年間は反省の連続でした。完璧に物事がうまく進んだことなんてありません。楽しいこと、嬉しいことよりも、圧倒的に辛いこと、反省しなければならないことのほうが多かったです。それでも共に一つの目標を目指す仲間がたくさんいたからここまでやってこれることができました。10年経っても、20年経っても、50年経ってもワンゲルでの思い出話しをしていつまででも盛り上がれるワンゲルの仲間は一生の私の財産です。また、ワンゲルで得たもの全てが、私が大学で得た一番大事なものだと思っています。私にとって、ワンゲルは大学生活で、最も大事な経験であり、生活の一部でした。 |
2 |
一番の思い出(楽しかったこと、嬉しかったこと等)
3年の秋合宿、危急時訓練。傷病者を背負子で雷鳥荘までの急坂を搬送していた際、当時の1年生一人が傷病者を搬送しているとき、あまりにも辛そうな姿を見て、「変わります」というと、涙声で、「まだ大丈夫です!」と言って歩き続ける姿を見たとき。後輩の成長した姿を見て嬉しくて涙が出た。
吾妻山での春合宿 ゴールに到着したとき。 |
3 |
一番の思い出(苦しかったこと、辛かったこと等)
・ 2年の10月、同回の仲間が部を辞めたこと。
・ 夏合宿直前に不注意で足の小指を骨折してしまい、部全体に多大な迷惑をかけてしまったこと。自らの合宿に対する意識や、責任感が低かったため、合宿前の大事な時期に注意散漫になっていたのだと思う。
・ 理不尽な思いをさせ、後輩を一人辞めさせてしまったこと。
・ 3年の春合宿前、春合宿に一番集中しなければいけない時期に、就活や、本部の仕事がかぶり、100%春合宿に集中できていなかったこと。 |
4 |
後輩たちへのメッセージ
お疲れ様です!!
皆に偉そうに言えることは何もないんやけど、4年間KGWVに所属した身で言えることは、必ず部を引退するまで続けてください!ということです。辛いことが多くて辞めたいと思うことは何度もあるかもしれませんが、引退まで続けたからこそ得られるものがあると思います。今、皆は最高の環境にいると思います。代交替を終えてから、真剣に何か目指すものがあることの大切さ、目標を達成しようと努力することの大切さに改めて気がつきました。皆のことを羨ましくさえ思います。皆は今キラキラ輝いてて青春真っ最中ですネ!
もうすぐ春合宿ですね。自分がやってきたことに誇りを持って、自信を持って、更なる努力を重ねて目標を貫いてください!!
最後に、この場を借りて皆に感謝の気持ちを伝えたいと思います。皆の頑張りや成長を見て私自身本当に元気づけられたし、皆がいたから今の私があります。皆には今、感謝の気持ちでいっぱいです。卒業してもまた一緒に山でも飲みでも行きましょう!今までどうもありがとう!!
|
|